本学部の大喜直彦教授がラジオに出演しました。

平成30年7月8日及び 15日放送の KBS 京都放送のラジオ番組『本多隆朗の京のあったか円かじり』(毎週日曜日午前6時25分から放送)に、本学部の大喜直彦教授が出演しました。

ラジオで話した内容は、「幽霊」について。
どのような話をしたのかは、コチラ


大喜直彦教授は、右。

夏の定番、「幽霊」って何ですか?

Q:
梅雨も終盤、蒸し暑い時期ですが、夏の定番の幽霊話を、お聞きしたいと思いますが、現代でよく聞く幽霊の話しは何かあるでしょうか。
A:
現代の幽霊話で古典的な話が、次の2つではないでしょうか。
1つ目は、タクシーに乗せた女性がいつの間にか消え、女性が座っていた後部座席がびっしょりと濡れていたというものです。これは全国的に聞く話しですが、京都の深泥池(みどろがいけ)の事件が発祥だといわれています
2つ目は、小雨の降る中、亡くなった子がグランドを走っているとか、雨のしとしと降る夜には幽霊が出るというものです。
さてこの2つの話しに何が共通しているかわかりますか。
Q:
それは、雨、水でしょうか?
A:
その通りです。ちょうど梅雨時ですが、その雨と水と幽霊は深い関係があるのです。
Q:
水がどのように関係しているのですか?
A:
死後の世界への通路は、いくつかあるのですが、その内の1つが水の中なのです。
わかりやすいのは、番町皿屋敷のお菊の亡霊が、井戸の中から現れる話しでしょう。これはお菊が井戸に投げ込まれたので、幽霊となりその場所から出ると理解している人が多いのではないでしょうか。実はそうではなく、井戸が死者の通路と考えられていたからです。さらにいえば、遺体を井戸に投げ込んだことも、遺体を井戸に隠すためではなく、死者の世界に送る行為とも考えられます。
『平家物語』の話しを見るとよくわかります。源氏に追い詰められた、平家一門が壇ノ浦に身を投じる場面で、8歳の安徳天皇が二位の尼(清盛の妻時子)に「これからどこへいくのか」と尋ねると、二位の尼は「海の中の極楽浄土へ参ります」と説明します。
一般的には、幼い帝を慰めるための話しのように思われがちですが、それは違います。水の中に死後の世界(この場合、極楽浄土)があるという考えに基づいて、このような説明となったのです。つまり慰めではなく、本当にそう思って説明した話しなのです。
Q:
井戸は死後の世界に通じているのですね?
A:
その通りです。小野篁(おののたかむら)が井戸を通って地獄へ出入りした伝説も、この話しに通じるものです。この井戸は東山の六道珍皇寺境内にあります。
現代では井戸がなくなり見られなくなりましたが、昔、お盆前に「井戸さらえ」という作業があました。これは井戸の中の落ち葉やゴミを除去する清掃ですが、単に井戸をキレイにしているのではありません。お盆に死者が井戸を通ってこの世に帰ってくるので、通路を確保しているのです。
Q:
水と死者が関係しているので、タクシーの座席が濡れるのですね
A:
死者は水の中を通ってこの世に出てくる以上、水に濡れているとは実は至極理にかなった話しなのです。水との関係が、話となった時、幽霊が雨の日に出ることや座席が水びたしの演出となったのです。
現代は、近代科学の成果を享受していますので、死後の世界についての考え方が昔とは大きく変わってきています。だからタクシーの座席が濡れるのを、幽霊と水という関係を知らなくなっているため、結びつけることができず、非常に不思議に考えてしまうのです。
しかし、現代の幽霊がいろいろな幽霊話が語られて、昔と変わってきたといっても、すべて変わったのではなく、幽霊と水の本質的枠組みはまだ私たちの中で維持されているのです。
Q:
もう1つよく聞く、枕元に死んだおじいさんが立っている話しは、どう考えれば良いのでしょうか。
A:
歴史的に見て枕元の意味を考える必要がありますが、今回はおじいさんに注目しましよう。
おもしろいことに、死んだおじいさんが出現するのは、おじいさんの姿です。でもおじいさんも生まれた時から、おじいさん姿であるはずもなく、おじいさんの子ども時代もあったはずです。
それなら、子ども姿のおじいさんで出現してもいいはずですが、でも現われるのは、おじいさんの姿です。これはどうしてでしょうか。
もし、子ども姿のおじいさんが出現すれば、出会った人、例えば孫はそれをおじいさんとわからないでしょう。なぜなら会ったことがないわけですから。そうすると、この幽霊話は成立しなくなります(この場合、ただ見たことのない子どもが部屋に入ってきた話しになります)。
つまり幽霊とは本来、知っている死者が、生きている側の前に出るものなのです。つきつめていうと、幽霊とは生きている側の死者に対する記憶に基づいて創られたイメージなのです。
したがって、幽霊に出会うということは、生きている側が知り合いで、その上死去したことを知っている人に会うということなのです。死去したのを知っているから、その人に出会った場合、幽霊と判断できるのです。
もし全く知らない人が夜に部屋に出現しも、その人が死んでいるかどうか知るはずもない、つまり幽霊と判断できないはずです。だから部屋に人が現れたからといって幽霊話は成立しないのです。
Q:
でも現代は多くの幽霊話しがありますが、これはどうですか?また時代とともに幽霊は変化するのでしょうか
A:
現代の幽霊は人を選ばす、その人の前に出現して、恨みを晴らすような行動をとります。これは江戸時代からのイメージが、変化して現代版になったと思います。
先に生きている側の記憶に基づいて幽霊がイメージされると説明しましたが、幽霊は、自分(幽霊)を知っている人がやがて亡くなり、この世からいなくなると、自分(幽霊)をイメージする人がいなくなるため、やがて出現しなくなるはずです。
しかし現代のPCやデジタル機器の発展により、死んだ人が生きている時の姿や様子を静止画や動画で記録できる時代になりました。この記録があると、亡くなった人物に直接会っていなくても、そのイメージが何代にも渡り、引き継がれていくことが可能になります。そうすると、亡くなった人が、何世代にもわたり生きている人の記憶から消えない状況が現れ、幽霊も消えていかないという、新たな事態となるかもれません。PCの発達は幽霊も変えていくものと思います。
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