| 1 | 大学の設置形態をどのようなものにするかは、学術・文化の発展という国の存立基盤にかかわる重要な問題であり、「国家百年の計」として論じられるべき問題である。その意味で、国立大学の設置形態の変更を論議するためには、国の学術研究及び高等教育政策における国立大学の役割・機能につき、その理念・目的・存在意義等に遡ってこれを検討し、現在の国立大学がその設置形態のゆえに抱えている諸問題を具体的に明らかにすることから始めなければならない。現在問題とされている独立行政法人化問題においては、このような最も基本となるべき議論が決定的に不足し、むしろ、行財政改革の一環としての中央省庁改革及び国家公務員数削減等の政治日程に合わせる形で論議が先行するというきわめて憂慮すべき事態が進行している。 |
| 2 | (1) わが国において国立大学は、・社会全体の健全な発展という見地から、基礎的分野を含めた人文・社会科学および自然科学を通して長期的視野に基づく均衡のとれた教育研究を推進してきており、また、・教育の機会均等の理念に基づく適正な学費負担の下における高等教育の提供や計画的な人材養成、さらには、・地域配置を考慮した大学の均衡ある発展、等に大きく寄与してきた。その意味で、国立大学のありかたは、わが国の命運にかかわる極めて重要な問題であると言ってよい。山形県における四年制大学の収容能力は全国平均と比較して低水準にあり、教育の機会均等および地域を支える人材の養成という点で、国立大学としての本学が地域社会において果たす役割は特別に大きいものがある。さらに本学は、文系・理系を網羅した地方の総合国立大学として、山形県の教育、文化、産業、医療、科学技術等の各分野において大きな役割を担ってきているのである。 (2) 国立大学が独立行政法人化された場合、大学評価に基づき運営費交付金の重点配分が行われ、その結果大学間格差が一層拡大する虞が強く、また、大学運営に「市場原理」が導入されることにより、企業や自治体等からの外部資金を得やすい実利的な研究や短期業績主義に走る研究が優先されることが予想される。とりわけ、効率性になじまない基礎的学問分野の研究教育は軽視され、それを支える研究教育組織の再編・縮小も予想される。また、教養教育においてもその基盤となる基礎的学問分野の衰退・縮小により、充実した体制を敷くことが困難となるであろう。総合大学である本学の場合、その研究教育体制は著しくバランスを欠いたものとなることが危惧されるのである。さらに重要な点は、運営費交付金の重点配分により交付金の額が切り詰められることにより、学費の値上げを余儀なくされることであろう。このような事態は単なる推測ではなく、「独立行政法人」に類似した大学運営が導入されているニュージーランドの大学改革における最近の状況などが実証的に示唆しているところである。21世紀の学術研究の発展にとって国立大学の果たす役割の重要性に鑑みるとき、むしろわが国において現在最も求められているものは、欧米並みの恒常的な公的財政支援であり、戦後の新制大学発足時から存在している地方大学の大学間格差を縮小していくことにあると言わなければならない。 (3) このような問題点は、すでに指摘した国立大学の独自の存在意義が否定されていくことを意味するといってよい。とりわけ、地方国立大学の場合、これまでの教育研究体制の均衡を崩されることにより従来地域で果たしてきた総合的な役割を果たしえなくなり、その結果、地域の行政・産業・文化の長期的発展の基盤も大きく取崩されていくことにつながるであろう。本学において人文・社会科学の基礎研究と全学の教養教育等に責任を持つ人文学部としてこのような事態を受け入れることは到底できない。地方の中規模国立大学として発展してきた本学全体の立場からも、「地域の中の大学」としてのあるべき将来像を構想するとき、独立行政法人化に強く反対せざるを得ないのである。 |
| 3 | 「中間報告」は、教育研究機関としての大学の特殊性をふまえた観点から、通則法に特例法を設けることによって修正を加えようと試みている。しかし、それは以下に述べるように独立行政法人制度のもつ本質的な問題点を解決したものとはなっていない。 (1) 第一は、「業務」の範囲、「中期目標」および「中期計画」に関するものである。大学の研究教育は決して3〜5年という短期間で評価を確定できるものではなく、その目標や達成期間は個々の教育研究の特性に応じて主体的に定められるものでなければならない。通則法の中期目標期間に大学が拘束されるとすれば、短期的かつ効率的な研究が優先して行われ、基礎研究を含む学問研究全体の健全な発展に重大な影響を及ぼさずにはおかないであろう。また、各大学における「業務」範囲の限定の仕方によっては、中期目標等の策定も限定的なものとなり、本来総合的ないし多面的に発展する学問創造の可能性が予め制約される危険性も存在する。「中間報告」はこの点を考慮し、中期目標を定めるに際しては各大学の長期目標を配慮すべきとし、大学側の意見の聴取義務および尊重義務を主務大臣に課している。しかし、中期目標の策定や中期計画の認可の主体はあくまでも主務大臣にあり、大学側の意見の「配慮」や「尊重」が最終的に保証される制度設計とはなっていない。この点は、定型的大量反復的でその範囲が特定できる実施部門の業務を想定して設計された独立行政法人制度が、本来的に大学になじまない本質的な問題の一つである。 (2) 第二は、大学の「評価」に関するものである。大学の教育研究は定型化・数量化しえない性質を有しており、その評価は各学問分野の専門家により行なわれ、教育評価も長期的かつ多面的に行なわれるものでなければならない。「中間報告」は、大学の自己評価および第三者評価機関の評価結果を尊重すべきとしているが、通則法の評価組織機構自体はそのまま受け入れている。主務省の評価委員会が財界人などを含む外部の有識者を構成委員とすることからも、多面的で専門性に依拠した評価は著しく困難であると思われる。これに加えて、総務省に設置される審議会は、中期目標終了時に各法人の業務の改廃に関して主務大臣に勧告する権限をもち、最終的には主務大臣が組織改廃などを含む所要の措置をとるという仕組みになっている。このような、行政府の強大な権限の下での重畳的な評価システムにおいて、大学側の内在的な評価結果が「尊重」される保証はどこにもないのである。業務の範囲・中期目標等の設定のありかたとも重なって、大学における学問の自由や教育の自由は、著しい制約を受ける制度設計のままとなっている。 (3) 第三は、財務・会計に関するものである。「中間報告」は、国立大学の教育研究の特性を踏まえ、企業会計原則の適用範囲につき限定を加えるべきであるとし、また、現行の国立学校特別会計制度は基本的に維持されるべきものとしている。しかし、私立大学においても、教育に支障がなく学校経営に充てるという条件付きで収益事業が認められているにすぎないように、企業会計原則は公共性の観点から制約をうけているのである。その意味で、企業会計原則の導入は、およそ公共的な性格をもつ高等教育研究機関にはなじまず、その適用はきわめて不適切であると言わざるを得ない。適用の範囲を限定するにとどまらず、適用すること自体について根本的に見直すべきであろう。この点も、独立行政法人制度が大学に本質的になじまない問題点の一つである。また、安定的な財政基盤の確保という観点から国立学校特別会計制度の維持が提言されている。そのこと自体は重要な指摘であるが、同制度の歴史において一般会計からの組入れが制度発足時から年々逓減している事実に鑑みれば、独立行政法人移行後それが企業会計原則と結びつけられたとき、同制度がどの程度有効に機能するかについては疑問なしとしないのである。 |